この記事を見て「ああ、またか」と暗い気持ちになっています。
「男性育休義務化」というパワーワードが話題になっており私も見解を書きましたが、以前から存在していた「どうしても男性を育児に関わらせたくない軍団」の活動も活発化しています。
この記事単体でもツッコミどころは多々あるのですが、ここではよく目にする軍団の言い分とその原因、害悪さについて考察してみます。
目次
男性は「そもそも」育児に向いていない?
令和の時代に信じ難いのですが、軍団は未だにピュアにこれを信仰しているように思えます。
象徴的な二つの言葉が「生物学的に」と「やっぱりママじゃなきゃダメ」です。
軽々しく使われる「生物学的に」の罪
私は「生物学」に全くの門外漢なので「生物学的にこうである」と軽々しく断ずることは専門で研究されてる方に失礼だと思います。
こちらは霊長類学者竹ノ下祐二教授による軍団に対する反論をまとめたものです。
まとめると,多くの哺乳類において「育児は母親の仕事」であるが,ヒトはその生物学的特徴から,「育児は母親だけの仕事ではなく,父親の参加が不可欠」な動物であると言える。
— Yuji Takenoshita (@yujitakenoshita) January 28, 2014
特にここが重要なので軍団の皆さまには100回読んでいただきたいです。
また「男性の育児」は生物学単体で語られるべきものではありません。
社会学、歴史学、文化人類学、ジェンダー学など、様々な切り口が複合的に関わり合っている領域です。
なぜよく知りもしない生物学を都合よく切り出して「男性はそもそも育児に向かない」などと安易に言ってしまえるのか理解に苦しみます。
「やっぱりママじゃなきゃダメ」の呪い
そしてもう一つの呪いの言葉「やっぱりママじゃなきゃダメ」。
愛着関係の形成できている養育者に対して安心感を持つことは自然なことだと思いますし、現在主たる養育者が母親であることが多いため、そのような状況になることが多いのは納得できます。
しかしそれはそのような背景があってのことなので、一概に「やっぱりママじゃなきゃダメ」とは言えないはずです。
それを証明するためにはある程度のサンプル数をもとにした検証をする必要がありますが、そのような科学的エビデンスに基づいて「父親は育児に向かない」ことが書かれている論文があったら教えて下さい。
「母親以外も子どもと愛着関係を形成できる」というエビデンスならありますので100回読んでください。
育休なんて取ってもどーせ育児なんかしないに決まっている?
残念ながら記事で言及されているような、育休を「休み」と捉えてしまう男性が一定数いることは現状事実だと思います。
しかしながら、それは「解決すべき(解決できる)課題」と捉えて解決策を模索すべきものです。
「どーせ」という言葉に象徴される諦めは何か社会を良い方向に導くのでしょうか。
わざわざ言うまでもないですが、育児する男性もいればしない男性もいるでしょう。
育休を取る以上「する男性」でないと意味がないので、いかにして「する男性化」するかが課題になります。
なぜ課題解決を早々に諦めてしまうのでしょうか。
育児経験のない女性が育児をしているのですから、男性も条件は同じですよね。
解決できる課題なのですから、解決すべく考えましょう。
家事育児のできる男性なんかほとんどいない?
できるできないの前に日本の男性の家事育児時間は諸外国と比べて著しく短いというデータがあります。
共稼ぎ世帯でも夫側の家事育児時間は増えず、妻側が「仕事も家庭も」になる傾向にある、という調査結果もあります。
これも「解決すべき(解決できる)課題」です。
観点は3つあって、難度が低い順に「スキル」「当事者意識」「物理的リソース」です。
家事育児の「スキル」
まず家事育児の「スキル」は身につけることができます。
そこに生来の男女差はありません。
取材いただいたこちらの記事でも言及したのですが、家事育児のスキルはスポーツや仕事と同じで「やれば身につく」ものです。
家事育児の「当事者意識」
次に「当事者意識」ですが、スキルよりは獲得に時間がかかると思います。
特に育児に関してはそうです。
私は極端な母性信仰には強く反対しますが、「産む性として生を受け」「お腹の中で赤ちゃんを育む」という経験値は女性にしか積めないので、男性が当事者意識の点で女性に劣後するのはやむを得ない部分があると思います。
しかしながら、だからこそ男性が特に妊娠中や育児初期に本気で育児に向き合わないと、当事者意識の男女差は開く一方です。
そして当事者意識は実際に担うことでしか醸成されないし成長もしません。
裏を返せば当事者意識もスキルと同様に「やれば伸びる」のです。
家事育児にかけられる「物理的リソース」
最後に「物理的に家庭に参画する時間」があります。
ここが一番根深く、解決が困難な課題であると共に、ここを解決できればドミノ式にバタバタっと諸問題が解決していく部分です。
「男は仕事、女は家庭」を前提に発展してきた成功体験は日本社会に短期間でグッと根を張り、社会システム全体を固定化し柔軟性を奪っています。
しかしそのシステムは急速に老朽化し、社会全体で共有する価値観としては寿命を迎えつつあります。
それでうまくいく、夫婦間の合意のできている家庭のあり方はもちろん否定されるべきではありません。
しかし「皆かくあるべし」というあり方ではもはやなくなってきていることは明確です。
社会全体として価値観をアップデートしていく必要があり、その流れを加速するために「男性育休義務化」の機運をうまく活用しましょう。
アドラー心理学から考える軍団のインサイト
ベストセラーになった「嫌われる勇気」で注目を集めた心理学者アドラーですが、著者で哲学者の岸見一郎氏の記事を紹介します。
上記になぞらえると軍団は「男性は育児に向かない」という原因を捏造し「だから男性は育児に関わるべきではない」という偏った結論を導出しています。
軍団のインサイトは「男性は育児に向かない存在であってほしい」と言えます。
もう少し掘ると「自分は父親不在でも母親として必死で子育てした」「父親は自分の育児に関わりを持たなかったが私はちゃんとした大人に育った」「男性にひどい目に遭わされたことがあり私は被害者である」「自分は父親として子育てに関わってこなかったが子どもはちゃんと育った」などという背景から自己承認を求めているのだと想像します。
思い込みやn=1(またはごく少数)の個別体験から紡ぎ出されたストーリーに依存しており、それによって自己を保っている(目的を果たしている)状態です。
そういう人たちは「男性も育児に参画することが当たり前で、それによってたくさんの人が幸せになる世の中」が訪れてしまっては困るのです。
もちろんそうではない方もたくさんいらっしゃるのを知っているつもりです。
そういう方の発言からは「男なんて育児で使い物にならないじゃん」と言いながらも「そうでない世の中だったらいいのに、そうなればいいのに」がにじみ出てきます。
私がここで批判したいのは、より良い社会を希求することなく、バイアスにまみれた浅薄な知識と経験で、男性の育児参画の足を引っ張るような方々です。
特に冒頭にあげたように何らかの専門家として記事を書くような方で非建設的な発信をする方を強く糾弾しますし、敢えて「害悪さ」という強い言葉を用いています。
そうなってしまった背景に同情すべき何かがあるケースも多々あるでしょうし、そこに思いを馳せないわけではありません。
しかしながら、一人の父親として、微力ながら社会をより良くしたいと行動する一人として、お願いだから目を覚ましてほしい、せめて足を引っ張ることはやめてほしいと強く願います。
社会は良い方向に向かってきたし、これからも向かっていく
先日千葉市の熊谷俊人市長がこんな投稿をされていました。
完全に同意で、社会は総じて確実に良い方向に向かってきたし、これからも向かっていきます。
私は仕事柄若い世代の皆さんと話すことが多いですが、前向きで視座の高い方々がとても多く、そういった経験からも日本の未来は明るいと感じています。
偏った報道や印象論に惑わされず、適切なデータとエビデンスに基づいて、リテラシー高くありましょう。
そして「自分には社会を良くする力がある」と自覚を持って前向きに行動していきましょう。
日本の未来は明るいし、明るくしていくのは我々一人一人です。
創りましょう、明るい社会を、僕たちの手で。
アイキャッチにも使用したこちらの写真は、私が理事を務める社団法人Papa to Children(PtoC)の「パパ未来会議」の模様です。
私がフリーランスとして仕事しているキュービック社のオフィスで開催しました。
PtoCでは8月4日(日)に100家族規模の一大イベント「ダディバーシティフェス2019」を開催しますので、是非パパさんは子連れで遊びに来てくださいませ!
コメント
[…] 男性育休義務化の議論で顕在化する「どうしても男性を育児に関わらせたくない軍団」 | 育休男子.jp […]